~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
キリスト教宣教師の追放
秀吉は当初、キリスト教の布教を認めていましたが、やがて勢力を拡大したキリスト教徒が、神社や寺を破壊する事件が多発します。イエズス会が日本人を奴隷としてヨーロッパに売買していたとわかると秀吉は激怒し、天正一五年(一五八七)、「バテレン追放令」を発布、宣教師を国外追放としました。ただし、庶民の信仰までは禁じませんでした。
ところが、 文禄 ぶんろく 五年(一五九六)に起こった「サン・フェリペ号事件」がきっかけとなって、秀吉はキリスト教に対する態度をいっそう硬化させ、庶民の信仰も制限します。
この時、難破したスペイン船、サンフェリベ号の水先案内人が「スペイン王国はキリスト教の宣教師を世界中に派遣し、その土地の民をキリスト教徒にして国を裏切らせから、その国を武力征服する」という意味のことを告げたことからと言われていますが、それを証明する史料はありません。私は、当時のスペインやポルトガルが宣教師に先兵のような役割をさせたのではないかと考えています。前述したヴァリニャーノの手紙からもそうしたニュアンスが読み取れます。
アステカ帝国(現在のメキシコに位置する)とインカ帝国(現在のペルーに位置する)がスペイン人に滅ぼされたのは、まさに同時代です(アステカ帝国滅亡は大永元年【一五二一】、インカ帝国滅亡は天文二年【一五三三】)。二つの帝国は単に征服されただけでなく、町や文化を徹底的に破壊され、先住民は虐殺され、生き残った者は過酷な奴隷労働を強いられ、一時は民族滅亡の危機に陥りました。この虐殺と奴隷労働の凄まじさを物語るデータを一つ挙げると、インカの人々は、百年の間に千六百万の人口をわずか百万にまで減らされています(ヨーロッパから持ち込まれた病気が原因という説もあり)。また後年のことですが、アメリカは十七世紀から十九世紀にかけて、奴隷労働をさせるためにアフリカから黒人を約千二百万人(諸説あり)も移送しました。近年まで白人は、有色人種を同じ人間とは考えていなかったのです。
日本がそういう運命を辿らなかったのは、ひとえに武力を有していたからでした。
フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴやフレンシスコ会のルイス・ソテロらがスペイン国王に送った上書には次のような記述があります。
「陛下を日本の君主とすることは望ましいことですが、日本は住民が多く、城郭も堅固で、軍隊の力による侵入は困難です。よって布教をもって、日本人が陛下に喜んで臣事するように仕向けるしかありません」
この手紙を見る限り、スペインが布教を侵略の道具に使っていた面は否定出来ません。
秀吉が、サン・フェリッペ号事件の直後から、キリスト教に対して激しい弾圧を行なったのは、事件の前後に何らかの情報を得たからだと思われます。この後、日本におけるキリスト教ん勢いは急速にしぼんでいきます。
2025/10/06
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