大名の参勤交代と流通の発達に伴って、全国に街道が整えられていったことは前述しました。このうち、東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中の五街道は幕府が直轄し、宿泊や通信のための施設を整備しました。
街道には宿駅が設けられ、参勤交代の時に大名が宿泊する本陣および脇恩人、一般旅行者が宿泊するための旅籠が作られました。宿駅には茶店や商店もでき、また人や荷物を運ぶための駕籠かごかきや馬も用意され、宿場町として発展していったのです。
街道が整備されていくと、庶民が旅行する機会も増えました。伊勢神宮や讃岐の金刀比羅宮ことひらぐう、安芸の厳島いつくしま神社、信濃の善光寺などの有名な寺社に参詣に行く者、また全国の湯治場に行く者、大坂や京都に観光に行く者などが、街道を使いました。
ここで驚くのが、江戸時代の治安の良さです。強盗や山賊が出ることは稀で、京都から江戸まで女性でも一人旅できました。同時代のヨーロッパでは考えられないことです。こういういことを書くと、江戸時代の犯罪記録を出してきて「治安はよくなかった」と批判する人がいますが、当たり前のことですが、現在のどんな治安のよい町でも凶悪犯罪は起こります。歴史を見る時に大切なことは枝葉に捉われず、大きな視点でものを見ることだと思います。
飛脚制度ができたのも江戸幕府の頃でした。それ以前にも通信のための制度や施設はありましたが、すべて公けのものや大名専用でした。しかし江戸時代の飛脚は大名だけでなく、庶民の手紙や物も扱ったのです(公儀の継つぎ飛脚や大名の大名飛脚もあった)飛脚の手段は駆け足と馬の二種類でした。
物資の大量輸送には船が使われ、そのために太平洋と日本海と瀬戸内海で全国をつなく航路が出来たのも江戸時代です。
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