~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
街道の整備
大名の参勤交代と流通の発達に伴って、全国に街道が整えられていったことは前述しました。このうち、東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中の五街道は幕府が直轄し、宿泊や通信のための施設を整備しました。
街道には宿駅が設けられ、参勤交代の時に大名が宿泊する本陣および脇恩人、一般旅行者が宿泊するための旅籠はたごが作られました。宿駅には茶店や商店もでき、また人や荷物を運ぶための駕籠かごかきや馬も用意され、宿場町として発展していったのです。
街道が整備されていくと、庶民が旅行する機会も増えました。伊勢神宮や讃岐の金刀比羅宮ことひらぐう、安芸の厳島いつくしま神社、信濃の善光寺などの有名な寺社に参詣に行く者、また全国の湯治場に行く者、大坂や京都に観光に行く者などが、街道を使いました。
ここで驚くのが、江戸時代の治安の良さです。強盗や山賊が出ることは稀で、京都から江戸まで女性でも一人旅できました。同時代のヨーロッパでは考えられないことです。こういういことを書くと、江戸時代の犯罪記録を出してきて「治安はよくなかった」と批判する人がいますが、当たり前のことですが、現在のどんな治安のよい町でも凶悪犯罪は起こります。歴史を見る時に大切なことは枝葉に捉われず、大きな視点でものを見ることだと思います。
飛脚制度ができたのも江戸幕府の頃でした。それ以前にも通信のための制度や施設はありましたが、すべて公けのものや大名専用でした。しかし江戸時代の飛脚は大名だけでなく、庶民の手紙や物も扱ったのです(公儀のつぎ飛脚や大名の大名飛脚もあった)飛脚の手段は駆け足と馬の二種類でした。
物資の大量輸送には船が使われ、そのために太平洋と日本海と瀬戸内海で全国をつなく航路が出来たのも江戸時代です。
コラム-27
街道が整備され、お伊勢参りや金毘羅参りが庶民の間にも定着していく中で、「犬のお伊勢参り」という世にも面白い現象が出現しました。これは、人が飼い犬を連れてお参りするのではなく、歳を取るなどして自力でお参り出来なくなった飼い主(人)に代わって、犬が、首にお布施を下げて伊勢まで旅をし、参拝する、つまり「犬のお遣い」です。
参拝に赴く犬は道中、見ず知らずの人々から食べ物や水、休憩場所を与えられたり、道案内をしてもらったり、時には首の巻物が重かろうと持ってあげる人が現れたりしたというのです。時には「感心な犬だ」と言ってお金を首に巻いた袋に入れてくれたりよいうこともあり、多くの人の助けを得て無事にお伊勢参りを果した犬が、無事に飼い主の元へ戻ったということです。俄かには信じられない話ですが、詳細な記録がいくいつも残っています。
「犬のお伊勢参り」の最初の記録は、明和八年(一七七一)、山城国(現在の京都府南部)の高田善兵衛という人の犬が、外宮げぐう内宮ないぐうに参拝したというものですが、次第に全国に広まったようで、多くの書物に記されています。なかには犬だけでなく、安芸国(現在の広島県西部)から伊勢にお参りした豚の話まであり、これはさすがに「珍しきこと」と書かれています(『耳嚢みみぶくろ』)
このエピソードに接して、まず驚き知るのは、当時の日本の津々浦々の治安がいかに良かったか、市井の人々がいかに暢気な優しさを備えていたかということです。貧しく治安の悪い国であれば、犬が首にお金などを巻いて歩いていたら、たちまち捕まって金を盗られ、犬も食べられていたでしょう。
この話からは、当時の日本人の物心両面の豊かさに加え、現代の日本人にも通じる巡礼者への接し方、動物への独特な接し方を見ることが出来ます。

2025/10/25
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