嘉永七年(一八五四)一月(新暦二月)、ペルーは再びやって来ました。前回の倍近い七隻の大艦隊を伴っての来航でした(最終的に九隻となる)。
諸大名の意見は開国に反対が過半数でしたが、アメリカを恐れた幕府は、三月に「日米和親条約」(正式名称は「日本國
米利堅
合衆國和親条約」)を結びます。
ここに二百年以上続いた鎖国の時代が終りを告げました。このニュースはたちまち世界に広まり、その後、イギリス、ロシア、オランダがアメリカと同じ要求をし、幕府はおれらの国々と次々と和親条約を結ぶことになります。
これにより幕府の威信は大きくぐらつきましたが、そのことを象徴するかのように、翌安政二年(一八五五)十月、江戸に大地震が起きます。家屋倒壊約一万五千、死者も一万人にのぼったとされ、江戸城も大きな被害を受けました。前年から翌年にかけて全国各地で何度も起きた大地震を称して「安政大地震」と呼ばれています。
「日米和親条約締結から二年後の安政三年(一八五六)、メリカから外交官のタウンゼント・ハリスが来日し、今度は通商条約の締結を迫ります。幕府(老中座主は阿倍正弘から
堀田正睦
に代わっていた。阿倍は翌年、急死)は交渉の引き伸ばしを図りますが、同じ頃、「アロー戦争」で。清がイギリス・フランス連合軍に完敗したという情報が入って来ました。
あらためて欧米列強の力を見た幕府は、安政五年(一八五八)、アメリカと通商条約を結ぶことを決め、朝廷に勅許を求めますが、徹底した攘夷論者であった
孝明
天皇はこれを拒否しました。攘夷論とは、外国を撃退して鎖国を通そうという排外的な思想です。朝廷のみならず、全国の大名も程度の差こそあれ、条約調印には反対意見が多かったのです。
しかし同年、大老(臨時の役職で老中よりも上)に就いた
井伊直弼
(彦根藩主)は、朝廷の勅許を得ないまま「日米修好通商条約」を結びます。
この条約は日本にとってきわめて不利な二つの条文を含む不平等条約でした。その二文とは、「アメリカの領事裁判権を認める」ことと「関税自主権がない」ことでした。
「領事裁判権を認める」とは、アメリカ人が日本で罪を犯しても、日本人が裁くことが出来ないということです。極端に言えば、アメリカ人は日本で犯罪をやり放題ということにもなり得ます・また、関税率を決める権限がなければ、外国から安い商品が流れ込んで日本の産業が大打撃を受けても、それを防ぐ手段がありません。そもそも関税とは貿易をする両国間で話し合って決めるものであるはずなのに、それを一方的に相手国が決めるというのは道理に合いません。
この時決められた関税率は、輸入品には平均二〇パーセント、輸出品は五パーセントというものでしたが、輸出品の関税が低かったのはアメリカが日本の生糸を大量に買いたかったからです。その結果、条約締結以降、国内の生糸価格が高騰します。
またその後、列強が難癖を付けて輸入関税を五パーセント下げさせたため、外国から安価な綿織物が大量に入って来て、国内の綿織物産業が大打撃を受ける事態に陥っています。
現代なら中学生でもわかるこんな不利な条件を、なぜ飲んだのかといえば、乱暴に言えば当時の幕閣の無知のせいです。それまで大々的に国際貿易を行なったことがなかったので、関税の重要性を理解していなかったのです。領事裁判権については、日本側は「アメリカ人を裁く手間が省ける」と、むしろ歓迎したとも言われています。
「国家主権」の意味と重要性を皆目理解していなかったといっても過言ではありません。こうして書いても、当時の幕閣らのあまりの無知とお気楽さに頭がくらくらしてきます。
また開国した途端、日本へ来た外国人が、銀を金に替えて持ち帰るという事態も起きました。長い間、金と銀の交換比率(価値の比率)は、世界も日本も一対五でした。しかし一七〇〇年にメキシコで巨大な銀鉱山が発見され、世界では銀の価格が急落し、金との交換比率は一対一五にまで開いていたのです(現在は一対八十以上)。ところが幕府は長年の鎖国でそのことを知らず、外国人にその虚を衝かれて、大量の金が日本から持ち去られたのでした(実際の方法は、メキシコ銀貨を日本の一部銀と交換し、それをさらに小判に換えて持ち帰った)。こうして国外に流出した金は、わずか半年の間に十万両(一説には五十万両)にも上ったといわれています。
これが半世紀以上も国際情勢に目を瞑って来た弊害でした。いずれ開国を迫られる日が来るとわかっていたのですから、可能な限り情勢を収集し国際条約について勉強をし、対策を練っていれば、こんな馬鹿げた詐取には遭わなかったはずです。それをひたすら「その日が来ないこと」を願い、あるいは「その日が来ること」を考えずに過し、いざその日が来てから泥縄式に対処したために、ひどい体たらくに陥ったのです。
同じ年、幕府はアメリカと結んだ不平等条約とほぼ同内容の条約をオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも結びました。「安政の五カ国条約」と呼ばれるこれらの不平等条約を解消するのに、その後、日本は大変な苦労をすることになります。
日本人は世界のどの国の人々にも劣らない優秀な国民だと私は思ってます。これまで述べてきたように、文化、モラル、芸術、政治と、どの分野でもきわめて高いレベルを保持し、優れた社会を築いてきたと確信しています。しかし、幕末における一部幕閣の政治レベルの低さと国際感覚の欠如だけは、悔しいながらも認めざるを得ません。
世界情勢に背を向けて、ひたすら一国の平和に浸かり、そこに日本人特有の「言霊主義」が混ざり合った結果、このような無様な事態に陥ってしまったのです。 |
