日暮くれぬれば、かの寮つかさにおはして見たまふに、まことに
燕つばくらめ巣つくれり。くらつまろの申すやうに尾を浮うけてめぐるに、荒籠あらこに人をのぼせて、吊つり上げさせて、燕つばくらめの巣に手をさし入いれさせてさぐるに、「物もなし」と申すに、中納言、「悪あしくさぐればなきなり」と腹はら立たちて、「誰たればかりおぼえむに」とて、「我のぼりてさぐらむ」とのたまひて、籠こに乗りて吊られのぼりてうかがひたまへるに、燕つばくらめ尾をささげて、いたくめぐるに合あはせて、手をささげてさぐりたまふに、手に平ひらめる物さはる時に、「我、物ものにぎりたり。今はおろしてよ。翁おきな、し得たり」とのたまへば、集あつまりて、とくおろさむとて、綱つなを引きすぐして綱絶たゆるすなはちに、やしまの鼎かなへの上にのけざまに落ちたまへり。人々あさましがりて、寄よりて抱かかへたてまつれり。御眼おほんめは白眼しらめにてしたまへり。人々、水をすくひ入れたてまつる。からうじて息いき出いでたまへるに、また鼎かなへの上より、手とり足とりして、下さげおろしたてまつる。
からうじて、「御み心地ここちはいかが思おぼさるる」と問へば、息いきの下したにて、「物はすこしおぼゆれど、腰なむ動うごかれぬ。されど、子安貝こやすがひを、ふと握にぎり持もたれば、うれしくおぼゆるなり。まづ紙燭しそくして来こ。この貝かひの顔見む」と御みぐしもたげて、御手を広げたまへるに、燕つばくらめのまり置おける古糞ふるくそを握にぎりたまへるなりけり。それを見たまひて、「あな、かひなのわざや」とのたまひけるよりぞ、思ふに違たがふことをば、「かひなし」といひける。
貝にもあらずと見たまひけるに、御み心地ここちも違たがひて、唐櫃からびつの蓋ふたの入れられたまうべくもあらず、御腰は折をれにけり。
中納言ちゅうなごんは、わらはげたるわざして止やむことを人に聞かせじとしたまひけれど、それを病やまひにて、いと弱くなりたまひけり。貝をえ取らずになりけるよりも、人の聞き笑はむことを日にそへて思ひたまひければ、ただに病やみ死ぬるよりも、人聞ぎきはづかしくおぼへたまふなりけり。
これを、かぐや姫聞きて、とぶらいにやる歌、
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年を経へて 浪なみ立ちよらぬ 住すみの江えの まつかひなしと聞くはまことか |
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とあるを、読みて聞かす。いと弱き心に、頭かしらもたげて、人に紙かみを持たせて、苦しき心地ここちにからうじて書きたまふ。 |
かひはかく ありけるものを わびはてて 死ぬる命いのちを すくひやはせぬ |
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と書きはつる、絶たえ入いりたまひぬ。これを聞きて、かぐや姫、すこしあはれとおぼしけり。それよりなむ、すこしうれしきことをば、「かひあり」とはいひける。 |
(口語訳)
日が暮れたので、中納言は例の大炊寮にいらっしゃって、ご覧になると、ほんとうに燕が巣を作っている。くらつまろが申し上げたように、尾を上へあげてまわっているので、荒籠に家来を乗せて、綱で吊り上げさせて、その家来に命めいじ燕の巣に手を差し入れさせさぐらせたが、「何物もありません」と申し上げる、中納言は、「さぐり方が悪いからないのだ」と腹を立てて、「わし以外の誰が、貝のことに気がつこうか・・・・」と言い、「わしがのぼって探ろう」とおっしゃって、籠かごに乗り、綱で吊り上げられて、巣の中を覗きなさると、燕が尾を上へあげてひどくぐるぐるまわっている、それに合わせて、手を差し出してお探りになると、手に平たい物がさわった、その瞬間、「わしは物をにぎった。もうおろしてくれ、やったぜ、じいさん」とおっしゃるので、家来たちが、集まって早く下ろそうとして、綱をひっぱりすぎて綱がなくなり、その瞬間、八個の鼎かなえの上に、あおむけにお落ちになった。人々はあきれて、そばに寄って、抱きかかえ申し上げる。
見ると、中納言ちゅうなごんは御眼おんめを白眼しろめにして倒れていらっしゃる。家来けらいたちが、水を飲ませてさしあげる。やっと息をふきかえされたので、また、鼎かなえの上から、手を取り足取りして、下さげおろし申し上げる。
「ご気分はいかがでございますか」と問うと、
やっとのことで、虫の息で、「意識は少しあるが、腰が動かない。しかし、子安貝こやすがいをさっと握って、そのまま持っているから、うれしく思っているのだ。まず、とにかく紙燭しそくをつけてこい。この貝の顔を見よう」と御おん頭かしらをもたげて、御おん手てを広げなさると、それは子安貝ではなく、燕つばくらめがたらしてあった古糞ふるくそを握っていらっしゃるのであった。中納言は、これをご覧になって、「ああ、貝がないことだ」とおっしゃったときから、期待に反することを、「かひ・・なし」というのである。
貝ではないと、それをご覧になったゆえに、いまではご気分もずっと悪くなり、唐櫃からびつに蓋ふたが、なかなかぴったりと合わないように、御腰おんこしは折れたままで、うまくつながらない。
中納言は、子供っぽいことをして、求婚の結末がついたことを人に聞かせまいとなさっていたが、結局それが病やまいのもとになって、たいそう弱くおなりになったのである。
貝を取ることが出来なくなったことよりも、他人がこの話を聞いて笑うであろうことを、日がたつにつれてだんだんと気になさるようになったので、ただ普通に病気で死んでしまうよりも、外聞がいぶんが恥ずかしいとお感じになるのであった。
この様子を、かぐや姫が聞いて、お見舞いにおくる歌、
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(ながらくの間、お立ち寄りにもなりませんが、貝がなかったので、わたくしの方も待っている甲斐かいがないという噂うわさですが、本当でしょうか) |
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と書いてあるのを、おそばの者が読んで聞かせる。中納言は、やいそう心は弱っていたが、頭をもたげて、人に紙を持たせて、苦しい気分のままで、やっとのことでお書きにおなる。 |
(貝はなかったけれども、あなたにお手紙をいただいて、甲斐はこのように、まさしくありましたよ。この「甲斐」ならぬ「匙かい」によって、苦しみがきわまって死ぬわたくしの命をすくって・・・・くださらないのですか) |
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と書き終わるや否や、絶命ぜつめしてしまわれた
これを聞いて、かぐや姫は、少し気の毒にお思いになった。それが原因で、少しうれしいことを「かひ・・あり」というようになったのである。 |
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