空 海 を 知 る キ ー ワ ー ド
監修:山折哲雄 エッセイ:上山春平 解説文:正木 昇 『空海の世界』 佼成出版社 ヨリ


 

真 言 其の一

空海を開祖とする宗派を真言宗と称するくらい、真言という概念は密教にとって重要な位置を占めている。真言宗は、儀礼の中で長短様々な真言をサンスクリット語のまま唱えるから、どことなくエキゾチックな感じも強く、日本に存在する他の宗派に比べて摩訶不思議なものだと思われる方も多いであろう。また、サンスクリット語のまま唱えられた真言は、その内容が門外漢には全然分からず、何やら呪文のようなものだという感想が普通であるに違いない。
真言とは、読んで字の如く、真実の言葉を意味する。サンスクリットでは 「マントラ」 という。ただし、今日の真言宗でいう真言には、いわゆる真言のほかに、明呪と陀羅尼の二つが含まれており、この三者の総称として真言ないし陀羅尼なる言葉が用いられることが一般的である。したがって真言を説明しようとすれば、おのずと真言・明呪・陀羅尼の全てについて論ぜざるを得なくなる。
さて、真言から話を始めたいが、その前に、真言の生みの母たる古代インドにあって、言葉ないし声がどのように考えられていたか、を概略述べておきたい。日本の古代社会が言葉や声に特別な価値を見いだしていたことは、例えば、 「言霊」 などといった大地をも神をも動かし得る不可視の力の存在を認めていた事実に典型的に現われている。このように古代社会は、概して、言葉に特別の価値を付与する傾向にあるが、わけてもインドの場合は、その徹底の度合いにおいて傑出していた。言葉の持つ霊妙な力は神格化されて女神ヴァーチとなり、天からの啓示の書とみなされ聖典ヴェーダには、声こそ永遠なれ、とうたわれた。学者たちもそれぞれ独特の言葉論を展開し、声常住論・声無常論などが主張され、永遠なる言葉の原型を求めようと試みる人々もあった。真言も、これらを背景に誕生し、やがて深化していったのである。
マントラ=真言は原初、聖典ヴェーダに、神々に奉る賛歌として登場した。もとより日常に用いられる言葉とは、次元及び体系を全く異にする。言葉それ自体としてのマントラは、動詞 「マン (考える)」 に後接字 「トラ (器)」 が付加されたもので、全体では 「思考の器」 というほどの意味を持つ。このマントラには絶対的な属性があった。反復である。つまり、マントラは数限りなく唱えられた時、絶大な威力を発揮すると考えられたのである。それも、声を高く上げるのではなく、低く他人には聞こえないようにすれば、なお一層、大きな効果を上げるという。このように特定の言葉を、低く低く繰り返してゆくと、そこに一種特有の精神状態が生じてくるのは、想像に難くない。すなわち、マントラの低唱反復によって、宗教的な境地たる三昧に入ることが可能になるのだ。
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