空 海 を 知 る キ ー ワ ー ド
監修:山折哲雄 エッセイ:上山春平 解説文:正木 昇 『空海の世界』 佼成出版社 ヨリ


 

虚 空 蔵 求 聞 持 法 其の一

空海の密教の道を究めるきっかけは、一族の期待を一身に担って入学した大学の、立身出世しか念頭に無いような授業内容に嫌気がさして大学を辞し、放浪の旅にあった時、今となっては誰とも知れぬ一沙門に虚空蔵求聞持法なる密教の秘法を伝授されたことであった。したがって、虚空蔵求聞持法こそ、空海の一生を決定し、ひいては日本密教の歴史を決定した原因だったことになる。
虚空蔵求聞持法は、中国に胎蔵系の密教をもたらした善無畏三蔵の漢訳出になる 『虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法』 という経典に基づいて営まれる。この経典そのものは六世紀頃成立し、唐の開元五年 (717) 漢訳出。おそらくは、その後間もなく日本へ請来されたらしい。真言の項で触れたよぷに、インドでは古くから真言や陀羅尼を用いて記憶力の向上をはかる修法が発達しており、本経もその路線に乗り、かつ従前の修法を網羅し、記憶に関する修法を最終的に完成する形で登場してきたと思われる。
経典の規模としてはごく小さく、 『大日経』 や 『金剛頂経』 などの本格的な密教経典とは比べるべくもない。いわゆる雑密経典の一つに数えられる。
現在、真言宗に伝わる虚空蔵求聞持法は十二世紀前半頃までに整備されたもので、 『虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法』 に基づきながらも、他の密教修法と同様、経典に説かれた以外の要素を取り入れて、かなり煩瑣な儀礼となっているが、空海が同法を学んだ頃は、経典通りか、もしくは経典の中で絶対に必要と判断した部分だけを営んだに過ぎなかったに違いない。だいいち、彼が虚空蔵求聞持法を修めた場所は、四国、阿波の大龍寺や土佐の室戸岬であって、完備した道場があろうはずもなかった。つまり、空海は大自然の中で虚空蔵求聞持法を営んだのであり、その果てに明けの明星が口に飛び込む霊異を体験して、同法を成就したのである。
さて経典の説くところによれば、まず最初に自ら虚空蔵菩薩の画像を描かなければならない、次いで、その画像を閑静な場所を選んで掛け、ようやく修法がが始まる。
真言宗が教団として成立して以降は、ほぼ例外なく堂内に安置し、そこを求聞持堂と称して、この修法専用に用いることが多かったようだが、空海の記述を見る限り、彼はそんなことはしていない。山中なり洞窟の中なり、自分でよいと思った所に、画像を掛けるのがせいぜいであったのだろう。

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