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虚空蔵菩薩はサンスクリット名をアキャシャガルバ、虚空 (アキャシャ)
の胎 (ガルバ) という意味を持つ。要するに虚空の如く、無限にして無辺、同時に全宇宙にあまねく、福徳と智慧とを蔵する菩薩といわれ、大乗仏教のヒーローが、例えば観音であり、文殊であり菩薩であったとすれば、密教のヒーローは、この虚空蔵であるといってもよいくらい人気があった。その容姿は、まず身体は肉色。若々しい半裸の上に真っ白な衣をまとって、さらに美しい瓔珞
を付け、頭上高く豪華な冠をいただき、左手に蓮華を、右手に光焔に包まれた剣を持って、蓮華座の上に結跏趺坐するのが普通である。衣に清浄無垢な白を用いる理由は、一説にこの菩薩が明星に化身する場合があるからだという。空海が四国において、虚空蔵求聞持法を行じた時、その最後に明星が彼の口に飛び込んで、見事修行を成就したと伝えられるのは、この点に符合する。
次が肝心の陀羅尼の出番である。すなわち、
ナウボアキャシャギャラバオンアリキャマリボリソワカ
(華鬘蓮華冠をかぶれる虚空蔵に帰名す)
という陀羅尼を唱えるわけだが、ここで注目すべきは、この陀羅尼の読誦が並み大抵の回数ではないという事実だ。何と百万遍、唱え続けなければならないのである。陀羅尼読誦の回数は絶対に守らなけらばならず、回数の変更はもとより、一遍でもたらなければ、それでおしまい。しかもそれを百日間ないし五十日間で終わらなければならないから、行者の掛かる負担は凄まじいものになる。
仮に、百日間で百万遍となると、一日一万遍。一時間当たり、約四百二十回弱。一分では約七回だから、陀羅尼一回を8.5秒くらいで唱え続ける必要がある。これは、二十四時間、全然寝ないで野数字である。もっとも、行者が陀羅尼を唱えるスピードは、普通に予想されるよりは遥かに速く、虚空蔵求聞持法の陀羅尼程度では多分三〜四秒ほどで唱えることが可能だろうから、このペースだと一日あたり十時間、陀羅尼を唱え続ければよい計算なるが、十時間の精神集中を百日間ずっと保たねばならないとしたら、これは相当きつい。
まして五十日間で百万遍となると、単純計算でも負担は二倍に跳ね上がり、一日に二十時間あまりも陀羅尼を唱える必要が出てくる。食事や休息は、この数字からすると、ほとんど取る暇はない。したがって、五十日間で終わろうとしたら、これはもう想像を絶した状態が行者を訪れる。十日や二十日は何とか過ごせても、行の後半ともなれば、肉体の疲労だけでも過酷極まりない状況に達するに違いなく、しかも同一の陀羅尼をほぼ無限に近い回数にわたって唱え続けてゆくことから生ずるであろう精神状態が、ともすれば常軌を逸してしまう確立が非常に高いことは想像に難くない。
事実、中世の密教寺院の中には、虚空蔵求聞持法を破戒僧の清行、すなわち粛清に、いわば転用したような事例すら見いだせる。この件にかかわる古文書をひもとくと、その際の修行者の死亡率が何と五割に達したという驚くべき叙述に遭遇する。
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