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ネオプラトミズムの理論によれば、人間には、本来、神性が潜んでいる。それは通常の方法では求められないものの、何らかの神秘的な方法が見つかれば、その時、神性は発見され、人間は宇宙の真理に達することが出来ると主張する。表現を変えれば、人間の記憶の中には、神の永遠の智慧がかさに神の記憶の形で秘匿されているのだ。
したがって神の記憶へと至るドアの鍵さえ開けることが出来たなら、すべては明らかになるに相違ない。そしてこの鍵こそ記憶なのだ、とネオプラトニズムは考えた。
もうお気付きと思うが、こうした思想は密教の理論とも共通する点が多い。実際に長い期間、私たちの虚空蔵求聞持法とどこかで通底する神秘の秘法の技法の開発に莫大な精力を注いできた。驚かれるかもしれないが、スピノザもライプニッツも、記憶の技法に異常なほどの関心を示していたのである。また、ユダヤ教神秘主義たるカバラにも、全く同様な技法の開発が見られる。
この事実を、どう解釈すべきだろうか。単なる偶然の所産にすぎないのだろうか。ばかげた人間の妄想が、たまたま連鎖的な反応を見せただけなのか。私は、そうは思わない。東西の偉大な神秘主義の伝統が、そろって記憶に永遠の智慧へと至る至高の役割を与えたのは、それなりの妥当な理由があったからに他ならないのだと思うのだ。
このことに関連して、最近、大脳生理学者の間でおもしろい学説が唱えられている。すなわち、人間の脳というもは、猿人から人類が誕生した瞬間に、ほぼ今あるような次元に到達していた、というのである。逆に言えば、人間の脳は歴史的な段階を追って、徐々に整備されてきのではなく、一挙に完成したというのである。
この学説でゆくと、人間の過去はもとより、未来すらもすべて脳の中に存在することになる。したがって、およそ人間なるものが遠い未来の時点で到達するであろう智慧も、ことごとく今ここに存在する脳の中にしまいこまれていると考えるしかない。
仮に、そうだとすれば、空海は虚空蔵求聞持法によって、その秘密を垣間見たとも想像し得る。はるか遠い未来の彼方において、ようやく人間が獲得できるであろう智慧を、ひょっとしたら、空海は千二百年も前に手に入れてしまったのではないか。さらに敷
衍
すれば、その智慧こそ、大日如来の智慧ではないのか。興味は尽きない。
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