空 海 を 知 る キ ー ワ ー ド
監修:山折哲雄 エッセイ:上山春平 解説文:正木 昇 『空海の世界』 佼成出版社 ヨリ


 

曼 荼 羅 其の二

一方空海は曼荼羅を、表現形式の方向から、四種に大別してみせた。すなわち、大曼荼羅・三昧耶曼荼羅・法曼荼羅・羯磨曼荼羅である。
大曼荼羅とは、宇宙全体に展開される普遍的な形相を表現した曼荼羅で、より具体的には図像や彫像などを借りて個々のホトケの姿を表し、かつそれらのホトケを一定の階層秩序にのっとって配した曼荼羅である。私たちが、普通に曼荼羅と呼んでいるもの、しなわち胎蔵曼荼羅や金剛界曼荼羅はこれに該当する。
三昧耶曼荼羅は、大曼荼羅とは逆に、宇宙全体に展開される特殊相を表現した曼荼羅とみなされてよく、おなじくホトケの姿によって個々の特殊相を表現するが、三昧耶曼荼羅の場合は、ホトケの姿そのものではなく、各々のホトケを象徴する持ち物 (アトリビュート) 、多くは蓮華や刀剣や輪宝などといった仏具の類が用いられる。また三昧耶には、本誓ないし願いという意味があるところから、三昧耶曼荼羅が表現する特殊相は、特殊相でありながら、そのまま等しく宇宙の真理を体現しているともいわれ、こうした意義をとって平等曼荼羅とも呼ばれる。
法曼荼羅は、読んで字の如く、宇宙の真理を表現した曼荼羅だが、ここでは、真理を何によって表現しているのか、が問題となる。その答えは、言語である。しかし、言語とはいっても、それは決して文字や音声に限られたわけではなく、森羅万象ことごとくが言語なのだ、と主張する密教特有の言語観を反映している点に注意する必要がある。それ故、具体的な表現形式としては、個々のホトケに充てられた梵字をもって、曼荼羅が構成されているものの、それは仮に梵字という言語表現の一形式を採用しているに過ぎない。しかも、それら梵字は、別名を種子 (ビーチャ) ともいい、これも読んで字の如く、植物の種が、すでにその中に根や幹や花や、そして果実の可能性を内含しているかのごとく、衆生自身の無量無限の可能性、さらに梵字自体のもつ不可思議な功徳を秘めているとされる。ちなみに、法曼荼羅を、この点から、種子曼荼羅と呼ぶこともある。
羯磨曼荼羅の羯磨とは、活動を意味し、したがって羯磨曼荼羅とは、宇宙が一瞬も止まることなく、縦横無尽に動き続けていることを表現した曼荼羅ということになる。
密教のものの考え方では、森羅万象ことごとくが真理そのものの顕現であり、ひいてはホトケに他ならないから、ホトケの形像を配することで、宇宙の活動も表現できるのである。活動を重視するところに由来するのであろうが、一名、事業威儀曼荼羅ともいう。この羯磨曼荼羅の表現は、立体的な彫像の集合体によって成され、四つの曼荼羅のうちで、最も現実感が強い。例えば東寺の講堂などが、その典型である。

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