空 海 の 名 句 (抜 粋)
監修:山折哲雄 エッセイ:上山春平 解説文:正木 昇 『空海の世界』 佼成出版社 ヨリ


 

(其の十九) 菩 心 を 因 と な し、


菩提心を因となし、
大悲 を根となし、
方便を きょう となす。
菩提心為因、

大悲為根、

方便為究竟。
( 『大日経』 「住心品」)

悟りを求める心を原因とし、生きとし生ける者すべてに対する慈悲を根とし、それらを実現するための具体的かつ実際的な方法を以て、人間として果たすべき行為の最高のものとするのだ。

これが空海が信奉した真言密教の精髄とも称すべき 「三句の法門」 である。古来、ここには 『金剛頂経』 と並んで真言密教が典拠とする聖典、 『大日経』 の要旨がことごとく込められていると伝えられる。
ここに表れた 「因・根・究竟」 の三つの言葉は、衆生の中に本来宿っているホトケとなるべき種子、すなわち因が先ずあって、それが地・水・火・風の四つの根源的なるものに根付き成育して、やがて実を結ぶ過程にそれぞれ対応している。 『大日経』 をもとにして描かれる曼荼羅が 「大悲胎蔵生曼荼羅」 と称する事実からわかるように、この経典は、母胎が限りない悲しみを以て子を生み出すが如く、大日如来が宇宙の森羅万象を生み出してやまないという真理を語るが、密教者として進むべき道を、 「因・根・究竟」 と植物の生育になぞらえて解き明かす点も、 『大日経』 の内容からすれば、実に理にかなったっものと評するしかしかたないだろう。
ところで、この 「菩提心為因、大悲為根、方便為究竟」 の三句のうち、前二つの 「菩提心為因、大悲為根」 については、大乗仏教の経典においてもしばしば言及されてきた事柄で、例えば 『華厳経』 などにもよく似た趣旨の発現が見られる。が、最後の 「方便為究竟」 の言葉は、 『大日経』 独自の発想といってよい。つまり、生きとし生ける者すべての救済を可能にする具体的かつ実際的な方法を以て、人間として果たすべき最高の行為とみなす見解は、他のどの仏教経典にも見いだし難い。
私は、特に 「具体的かつ実際的な方法」 を標榜した点に、 『大日経』 の宗教思想としての偉大さを感じる。この関連として、 『大日経』 を自家薬籠中のものにした空海の心中を詮索すれば、 「菩提心為因、大悲為根」 は顕教の見解、 「方便為究竟」 こそ密教の見解ということになるのではないか。
この論理に注目すれば、彼が水不足に苦しむ人々の為に土木工事を起こして満濃池を築造したのも、庶民の教育をもくろんで綜芸種智院を創設したのも、また呪術能力を発揮して請雨・止雨に渾身の力を捧げたのも、皆この 「方便為究竟」 から出たと映る。
空海が権力者に自ら接近したり、あえてその権力を利用したりしたのも、衆生の救済は具体的かつ実際的でなければ、ただのお題目に終わり、自己満足のみのいやらしい精神主義に陥ると考えていたためだったのだろうか。
いすれにせよ、 「菩提心為因、大悲為根、方便為究竟」 と三句を連ねたところには、 『大日経』 が大乗仏教の精神を継承し、さらに大乗仏教の精神を形あるものにしようとした姿勢が強くうかがわれる。この点からすると、 『大日経』 は、密教学者津田真一氏が指摘されたように、大乗仏教と密教との接点に現れた一瞬の花火といえるだろう。 『大日経』 と並ぶ密教経典 『金剛頂経』 は象徴表現を駆使した密教儀礼の解説に終始することもあって、この三句の法門に該当する叙述は存在しない。 『大日経』 はインド思想史上の奇蹟だったのかも知れない。

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