空海が晩年、健康を害し、かねて終焉の地と見定めた高野山へ引き篭ったことは、すでに述べた。この
「高野山万燈会願文」 は、天長九年 (832)
の八月二十二日、その高野山において、父母、衆生・王国・三宝からなる四恩報答のため、胎蔵、金剛界の両部曼荼羅、四種曼荼羅などと、万燈万華
を捧げて供養する 「万燈会」 の為の願文である。実際に万燈会が初めて営まれたのは、その二日後の八月二十四日。
同じ天長九年の十一月十二日から、空海は穀物を口にしない行に入ったと伝えられることを思い合わせると、願文の
「虚空尽衆生尽、 涅槃尽我願尽」 という言葉には、死への準備を本格的に考え始めていたに違いない空海の、ただならぬ心模様がうかがわれる。当時の高野山は、いまだ伽藍の整備など全くままならぬ状態にあったため、暗黒の原始林の海に、あまたの燈が浮かび上がる様は、言いようのない美しさであったろう。
ただ、この一節は空海の創作ではない。 『華厳経』 「十地品」 にある初地の菩薩の願いたる 「十
尽
句
」 を、そのまま転用したのである。空海ほどの文章家が、なぜ自分の言葉でなく、既成の文句を引用したのかは明らかではないが、こんな見解もある。すなわち、他者の救済を至上命令とする大乗仏教の精神を、空海くらい持ち合わせた人物もなく、そうした心をひた隠しにしてきたけれど、己の死を目前にして、真の姿が噴出した。それで大乗仏教の究極ともいえる
『華厳経』 の文句を引いてきた、というのである。
この願文が永遠の誓願を表明していることは確かである以上、案外、的を得ている可能性があるのかもしれない。
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