邪宗門秘曲

われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。
黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂鋭きあんじやべいいる、
南蛮の浅留縞を、はた、阿刺吉、珍タの酒を

見目青きドミニカびとは陀羅尼誦し夢にも語る、
禁制の宗門神を、あるいはまた、血に染む聖磔、
芥子粒を林檎のごとく見すといふの欺罔の器、
派羅葦僧の空をも覗く伸び縮む奇なる眼鏡を。

屋はまた石もて造り、大理石の白き血潮は、
ぎやまんの壺に盛られて夜となれば火点るといふ。
かの美しき越歴機の夢は天鵝絨の薫にまじり、
珍らなる月の世界の鳥獣映像すと聞けり。

あるは聞く、化粧の料は毒草の花よりしぼり、
腐れたる石の油に画くてふ麻利耶の像よ、
はた、羅甸、波爾杜瓦爾らの横つづり青なる仮名は、
美しき、さいへ悲しき歓喜の音にかも満つる

いざさらばわれらに賜へ、幻惑の伴天連尊者、
百年を刹那に縮め、血の磔脊に死すとも
惜しくからじ、願ふは極秘、かの奇しき紅の夢、
善主麿、今日を折に身も霊も薫りこがるる。

邪宗門扉銘邪宗門秘曲謀 反月の出曇 日こほろぎ
ほのかにひとつ室 内 庭 園空に真赤な汝にささぐ

「邪宗門秘曲」は『邪宗門』の主題的作品であり、また代表作でもある。
邪宗門とは、もちろん邪教視されてきたキリスト教の呼称だが、それは九州を故郷とする白秋の、当時の詩情をかき立てるきわめて自然なイメージであった。しかし白秋は、それを新時代の詩人の比喩的呼称とした。このことは、その序に「我ら近代邪宗門の徒」と記していることにも明らかである。新しい詩人の畏怖と好奇を邪宗門徒のそれに擬しているのである。
この詩は、一貫して異国文明に対する好奇と驚異を表し、こうした妖しい夢のためには、命を縮め、 磔を血に染めても惜しまずという、耽美者の強い願望を歌っている。そしてここには、異教への好奇心と幻想を表現するために、故意にポルトガル語の訛りが多く使われている

切支丹でうす=キリスト教の神加比丹=船長びいどろ=ガラス
あんじやべいいる=オランダ石竹浅留縞=インドのサントメ産の綿留繊
阿刺吉=蒸留酒珍タの酒=赤ブドウ酒ドミニカびと=カトリックのドミニカ派の僧侶
陀羅尼=梵語で、ここでは祈祷文聖磔=十字架欺罔の器=顕微鏡
派羅葦僧=天国伸び縮む奇なる眼鏡=望遠鏡ぎやまん=ガラス
越歴機=電気腐れたる石の油に画く=油絵をさす伴天連尊者=神父
善主麿=イエスとマリアのこと
〜〜〜 『日本の詩歌・北原白秋』 (中央公論社) ヨリ 〜〜〜


バリトン歌手「山本健二」